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日本のパンダの歴史を総まとめ!三大動物園と歴代45頭の物語

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カンカンとランランの来日に日本中が沸いた1972年から、半世紀以上。日本では、上野動物園・アドベンチャーワールド・王子動物園を中心に、たくさんのパンダが私たちに笑顔や癒しを届け続けてくれています。

ですが、2026年には日本からパンダがいなくなるかもしれない——。そんな少し寂しい未来が、現実味を帯びてきています。

この記事では、日本のパンダの歴史が一つの区切りを迎えようとしている今だからこそ、パンダが大好きな気持ちをめいっぱい込めて、総勢45頭のパンダたちの50年以上にわたる物語をたどっていきたいと思います。

この記事で分かること
  • 1972年の初来日から現在までの日本のパンダ史の流れと、歴代パンダ45頭の一覧。
  • 上野、和歌山、神戸の三大動物園のパンダの歴史。
  • 返還によって日本からパンダがいなくなる事実と新たなパンダ来日の可能性。
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日本のパンダ50年の歴史を振り返る

まずは日本のパンダ史の全体像や歴代パンダのプロフィールについて、年表や一覧表で分かりやすく紹介します。

日本で暮らしたパンダたちと、パンダを愛するすべての人たちが大切に紡いできた50年の月日をひとつずつひも解いていきましょう。

一目で分かる!日本のパンダの歴史年表

日本のパンダ史は、1972年のカンカンとランラン来日から始まりました。

そして現在に至るまで、新たなパンダの来園や誕生などのたくさんの幸せな出会いもあれば、悲しいお別れや旅立ちも数多くありました。

こちらは、日本のパンダに関する主な出来事を総まとめした年表です。

年月出来事
1970年・女性ファッション誌『anan』創刊。
 ※「アンアン」はモスクワ動物園のパンダの名前(オス)に由来。
1971年・昭和天皇がロンドン動物園でパンダ「チチ」(メス)を観覧。
 →国内のパンダへの関心が高まる
・内藤ルネが日本初のパンダのキャラクター「ルネパンダ」を制作。
1972年・日中国交正常化を記念して、日本初のパンダ「カンカン」(オス)と「ランラン」(メス)が上野動物園に来園。
 →第一次パンダブーム
1979年・ランランが死亡。
1980年・ランランの後任として「ホァンホァン」(メス)が上野動物園に来園。
・福岡市動物園で「シャンシャン」(オス)と「パオリン」(メス)を約2ヶ月間の短期展示。
・カンカンが死亡。
1981年「ウェイウェイ」(オス)が上海雑技団の曲芸パンダとして来日し、日本を巡業。
・神戸ポートアイランド博覧会で「サイサイ」(オス)と「ロンロン」(メス)を約半年間の短期展示。
1982年・カンカンの後任として「フェイフェイ」(オス)が上野動物園に来園。
1985年・上野動物園のフェイフェイとホァンホァンの間に、日本初の赤ちゃんパンダ「チュチュ」(オス)が誕生。しかし、生後43時間で死亡。
1986年・上野動物園のフェイフェイとホァンホァンの間に「トントン」(メス)が誕生し、無事に成長。
 →第二次パンダブーム
1987年・アドベンチャーワールドが中国の成都ジャイアントパンダ繁育研究基地への寄付活動に参加。
1988年・アドベンチャーワールドに四川省成都動物園から「シンシン」(オス)と「ケイケイ」(メス)が来園。約3ヶ月間の短期展示を実施。
・上野動物園のフェイフェイとホァンホァンの間にオスの「ユウユウ」が誕生。
1989年・甲府市制100周年記念の「こうふ博’89」で「トントン」(オス)と「ビンビン」(メス)を約3ヶ月間短期展示。
1992年・上野動物園に北京動物園からオスの「リンリン」が来園。
・リンリンと交換で上野動物園生まれのユウユウが中国へ。
1994年・アドベンチャーワールドに、「永明」(オス)と「蓉浜」(メス)が来園。
 →世界初の「ブリーディングローン制度」による貸与
・上野動物園のフェイフェイが死亡。
1997年・アドベンチャーワールドの蓉浜が死亡。
・上野動物園のホァンホァンが死亡。
2000年・アドベンチャーワールドに「梅梅」(メス)が来園。
・上野動物園のトントンが死亡。
・神戸市立王子動物園に震災復興の象徴として「コウコウ」(オス※)と「タンタン」(メス)が来園。
(※コウコウは後にメスだったことが判明)
・アドベンチャーワールドで「良浜」(メス)が誕生。
2001年・上野動物園のリンリンが繁殖のため、メキシコの動物園へ合計3回渡航(~2003年)。
・アドベンチャーワールドで永明と梅梅の間に「雄浜」(オス)が誕生。
2002年・王子動物園のコウコウが中国へ返還され、2代目「コウコウ」(オス)が来園。
2003年・上野動物園のリンリンのパートナーとして、メキシコから「シュアンシュアン」(メス)が来園。
・アドベンチャーワールドで永明と梅梅の間に「隆浜」(オス)「秋浜」(オス)が誕生。
2004年・アドベンチャーワールドの雄浜が中国へ返還。
2005年・上野動物園のシュアンシュアンがメキシコに帰国。
・アドベンチャーワールドで永明と梅梅の間に「幸浜」(オス)が誕生。
2006年・アドベンチャーワールドで永明と梅梅の間に「愛浜」(メス)「明浜」(オス)が誕生。
2007年・アドベンチャーワールドの隆浜、秋浜が中国へ返還。
2008年・上野動物園のリンリンが死亡。
 →上野動物園のパンダはゼロに
・アドベンチャーワールドの永明と良浜の間に「梅浜」(メス)「永浜」(オス)が誕生。
 →日本生まれのパンダによる初の繁殖事例
・アドベンチャーワールドの梅梅が死亡。
2010年・アドベンチャーワールドの幸浜が中国へ返還。
・アドベンチャーワールドの永明と良浜の間に「海浜」(オス)「陽浜」(メス)が誕生。
・王子動物園の2代目・コウコウが死亡。
2011年・上野動物園に「リーリー」(オス)と「シンシン」(メス)が来園。
 →同園では3年ぶりにパンダ飼育復活
2012年・上野動物園の
・アドベンチャーワールドの永明と良浜の間に「優浜」(メス)が誕生。
・アドベンチャーワールドの愛浜、明浜が中国へ返還。
2013年・アドベンチャーワールドの梅浜、永浜が中国へ返還。
2014年・アドベンチャーワールドの永明と良浜の間に「桜浜」(メス)「桃浜」(メス)が誕生。
2016年・アドベンチャーワールドの永明と良浜の間に「結浜」(メス)が誕生。
2017年・上野動物園のリーリーとシンシンの間に「シャンシャン」(メス)が誕生。
 →同園では約30年ぶりの赤ちゃん誕生。
・アドベンチャーワールドの海浜、陽浜、優浜が中国へ返還。
2018年・アドベンチャーワールドの永明と良浜の間に「彩浜」(メス)が誕生。
2020年・アドベンチャーワールドの永明と良浜の間に「楓浜」(メス)が誕生。
2021年・上野動物園のリーリーとシンシンの間に「シャオシャオ」(オス)と「レイレイ」(メス)が誕生。
2023年・上野動物園のシャンシャンが中国へ返還。
アドベンチャーワールドの永明、桜浜、桃浜が中国へ返還。
2024年・王子動物園のタンタンが死亡。
・上野動物園のリーリーとシンシンが中国へ返還。
2025年・アドベンチャーワールドの良浜、結浜、彩浜、楓浜が中国へ返還。
2026年・上野動物園のシャオシャオ、レイレイが中国へ返還予定。
*参考:パンダの歴史2(日本編) – パンダと人間 – Cute.Guides at 九州大学 Kyushu University
*参考:日本最古のパンダキャラクター『ルネパンダ』の人気が復活! | 株式会社エンプレスのプレスリリース
*参考:福岡市動物園|福岡にもパンダがいた!
*参考:「1頭狩れば、20人が暮らせる」…中国で横行していた「パンダ密猟」の実態(家永 真幸) – 2ページ目 | 現代ビジネス | 講談社
*参考:神戸新聞社『ポートピア’81のジャイアントパンダ』神戸新聞社、2024年11月
*参考:歴代のパンダたち|上野動物園のジャイアントパンダ情報サイト「UENO-PANDA.JP」
*参考:HISTORY|ジャイアントパンダ日中共同繁殖研究サイト
*参考:個体紹介|ジャイアントパンダ日中共同繁殖研究サイト
*参考:旧町名を復活させたい 番外編~遊亀公園附属動物園 後編~ – Matto Cileci ~マットシレシ~
*参考:パンダの部屋|神戸市立王子動物園
「パンダの世界史」詳細はこちら!

一目で分かる!日本の歴代パンダ一覧

続いては、先ほどの「日本のパンダの歴史年表」に登場したパンダたちを一覧表にまとめてご紹介します。

その数、総勢45頭!

カンカン・ランランからシャオシャオ・レイレイまで、これまで日本で暮らしたパンダたちは、一頭一頭がそれぞれの個性と物語を持っています。

名前性別場所日本にいた期間ひとことメモ
カンカン(康康)オス上野動物園1972年10月28日 ~ 1980年6月30日日本初来日のパンダ、日本中にパンダブームを起こす、やんちゃな性格
ランラン(蘭蘭)メス上野動物園1972年10月28日 ~ 1979年9月4日日本初来日のパンダ、日本中にパンダブームを起こす、丸顔美人
シャンシャン(珊珊)オス福岡市動物園1980年3月23日 ~ 1980年6月2日「日中親善使節」として中国の広州市から来日、約2ヶ月の短期滞在、当時25歳
パオリン(宝玲)メス福岡市動物園1980年3月23日 ~ 1980年6月2日「日中親善使節」として中国の広州市から来日、約2ヶ月の短期滞在、当時17歳
ホァンホァン(歓歓)メス上野動物園1980年1月29日 ~ 1997年9月21日ランランの後任、チュチュ・トントン・ユウユウの母
ウェイウェイ(偉偉)オス上海雑技団(日本巡業)1981年1月6日 ~ 1981年とんぼ返りや木馬乗りなどの曲芸を披露
サイサイ(寨寨)オス神戸ポートアイランド博覧会1981年3月10日 ~ 1981年9月17日中国の天津市から来日、約半年の短期滞在、当時5歳
ロンロン(蓉蓉)メス神戸ポートアイランド博覧会1981年3月10日 ~ 1981年9月17日中国の天津市から来日、約半年の短期滞在、当時17歳
フェイフェイ(飛飛)オス上野動物園1982年11月9日 ~ 1994年12月14日ランランの後任、チュチュ・トントン・ユウユウの父
チュチュ(初初)オス上野動物園1985年6月27日 ~ 1985年6月29日日本で初めて誕生したパンダ、生後43時間で永眠
トントン(童童)メス上野動物園1986年6月1日 ~ 2000年7月8日日本で無事に育った初のパンダ、第2次パンダブームの火付け役
ユウユウ(悠悠)オス上野動物園1988年6月23日 ~ 1992年11月13日リンリンとの交換で中国へ
トントン(東東)オスこうふ博’891989年9月15日 ~ 1989年11月12日中国の成都市から来日、約2ヶ月の短期滞在
ビンビン(冰冰)メスこうふ博’891989年9月15日 ~ 1989年11月12日中国の成都市から来日、約2ヶ月の短期滞在
リンリン(陵陵)オス上野動物園1992年11月5日 ~ 2008年4月30日ユウユウと交換で来日、日本-メキシコ3往復を経験した「世界一飛行機に乗ったパンダ」
永明(えいめい)オスアドベンチャーワールド1994年9月6日 ~ 2023年2月22日パークで16頭の父に、「飼育下で自然交配して繁殖した世界最高齢パンダ」の世界記録を保持
蓉浜(ようひん)メスアドベンチャーワールド1994年9月6日 ~ 1997年7月17日永明と共に来日、眉間のつむじがチャームポイント
コウコウ(興興) ※初代メス神戸市立王子動物園2000年7月16日 ~ 2002年12月阪神大震災からの復興の象徴として来日、当初オスとされたが後にメスと判明
タンタン(旦旦)メス神戸市立王子動物園2000年7月16日 ~ 2024年3月31日阪神大震災からの復興の象徴として来日、「神戸のお嬢様」として愛される
梅梅(めいめい)メスアドベンチャーワールド2000年7月7日 ~ 2008年10月15日永明との間に6頭の子どもを出産、世界で初めて双子の赤ちゃんを自力で子育て
良浜(らうひん)メスアドベンチャーワールド2000年9月6日 ~ 現在永明との間に10頭の子どもを出産、日本で生まれて日本で母親になった唯一のパンダ
雄浜(ゆうひん)オスアドベンチャーワールド2001年12月17日 ~ 2004年6月21日永明と梅梅の子ども、中国返還後にたくさんの子孫が誕生
コウコウ(興興) ※2代目オス神戸市立王子動物園2002年12月 ~ 2010年9月初代・コウコウの後任として来日
隆浜(りゅうひん)オスアドベンチャーワールド2003年9月8日 ~ 2007年10月27日永明と梅梅の子ども、日本初の双子
秋浜(しゅうひん)オスアドベンチャーワールド2003年9月8日 ~ 2007年10月27日永明と梅梅の子ども、日本初の双子
シュアンシュアンメス上野動物園2003年12月3日 ~ 2005年9月26日メキシコから貸与されたリンリンのパートナー
幸浜(こうひん)オスアドベンチャーワールド2005年8月23日 ~ 2010年3月15日永明と梅梅の子ども
愛浜(あいひん)メスアドベンチャーワールド2006年12月23日 ~ 2012年12月14日永明と梅梅の子ども
明浜(めいひん)オスアドベンチャーワールド2006年12月23日 ~ 2012年12月14日永明と梅梅の子ども
梅浜(めいひん)メスアドベンチャーワールド2008年9月13日 ~ 2013年2月26日永明と良浜の初めての子ども
永浜(えいひん)オスアドベンチャーワールド2008年9月13日 ~ 2013年2月26日永明と良浜の初めての子ども
海浜(かいひん)オスアドベンチャーワールド2010年8月11日 ~ 2017年6月5日双子、永明と良浜の子ども
陽浜(ようひん)メスアドベンチャーワールド2010年8月11日 ~ 2017年6月5日双子、永明と良浜の子ども
リーリー(力力)オス上野動物園2011年2月21日 ~ 2024年9月29日シャンシャン・シャオシャオ・レイレイの父
シンシン(真真)メス上野動物園2011年2月21日 ~ 2024年9月29日シャンシャン・シャオシャオ・レイレイの母
名前なしオス上野動物園2012年7月5日 ~ 2012年7月11日リーリーとシンシンの初めての子ども、生後数日で永眠。
優浜(ゆうひん)メスアドベンチャーワールド2012年8月10日 ~ 2017年6月5日永明と良浜の子ども
桜浜(おうひん)メスアドベンチャーワールド2014年12月2日 ~ 2023年2月22日双子、永明と良浜の子ども
桃浜(とうひん)メスアドベンチャーワールド2014年12月2日 ~ 2023年2月22日双子、永明と良浜の子ども
結浜(ゆいひん)メスアドベンチャーワールド2016年9月18日 ~ 現在永明と良浜の子ども、パーク生まれのパンダで最大の体重197gで誕生
シャンシャン(香香)メス上野動物園2017年6月12日 ~ 2023年2月21日リーリーとシンシンの子ども、上野動物園で約30年ぶりの赤ちゃん誕生で大人気に
彩浜(さいひん)メスアドベンチャーワールド2018年8月14日 ~ 現在永明と良浜の子ども、パーク生まれのパンダで最小の体重75gで誕生
楓浜(ふうひん)メスアドベンチャーワールド2020年11月22日 ~ 現在永明と良浜の子ども、「いい夫婦の日」生まれ
シャオシャオ(暁暁)オス上野動物園2021年6月23日 ~ 現在リーリーとシンシンの子ども、上野動物園初の双子
レイレイ(蕾蕾)メス上野動物園2021年6月23日 ~ 現在リーリーとシンシンの子ども、上野動物園初の双子
*参考:歴代のパンダたち|上野動物園のジャイアントパンダ情報サイト「UENO-PANDA.JP」
*参考:福岡市動物園|福岡市動物園の歴史
*参考:【あの日】福岡市動物園にパンダ登場=4月1日|【西日本新聞me】
*参考:曲芸パンダの「ウェイウェイ」長崎へ! | ユウガク | NBC 長崎放送
*参考:神戸新聞社『ポートピア’81のジャイアントパンダ』神戸新聞社、2024年11月
*参考:旧町名を復活させたい 番外編~遊亀公園附属動物園 後編~ – Matto Cileci ~マットシレシ~
*参考:個体紹介|ジャイアントパンダ日中共同繁殖研究サイト
*参考:パンダの部屋|神戸市立王子動物園

※2025年6月13日現在、日本に在籍しているパンダは青字で示しています。在籍期間の終了日は、死亡または出国(中国への返還等)した日付です。

「日本の歴代パンダの名前の由来」はこちら!
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三大動物園とパンダの歴史(上野動物園、アドベンチャーワールド、王子動物園)

日本のパンダ史を語る上で話題の中心になるのは、上野動物園(東京都)、アドベンチャーワールド(和歌山県)、そして神戸市立王子動物園(兵庫県)という3つの動物園です。

数カ月間の短期飼育を除くと、日本国内で長期的かつ継続的にジャイアントパンダの飼育や繁殖に取り組んできた動物園は、上記の3施設だけなんです。

ここからは、これら3つの動物園のそれぞれのパンダ史にフォーカスしていきたいと思います。

【上野動物園】日本で初めてパンダの飼育を始めた動物園

日本のパンダ史は、上野動物園から始まりました。

1972年に日本で初めてパンダ(カンカンランラン)が来園して社会現象となり、公開初日には長蛇の列ができました。

その後も、2代目ペアのホァンホァンフェイフェイの間に日本で初めて赤ちゃんが誕生するなど、たくさんの「日本初」が上野動物園から生まれました。

一時はパンダが不在になる時期(2008年~2011年)もありましたが、リーリーシンシンが来園し、シャンシャンシャオシャオレイレイが誕生して、上野動物園のパンダファミリーの歴史をつないでいます。

上野動物園はパンダブームの中心地であり、日本のパンダ史の出発点なのです。

「上野動物園のパンダの歴史」詳細はこちら!

【アドベンチャーワールド】世界一のパンダファミリーを育んだ動物園

和歌山県のアドベンチャーワールドは、パンダの繁殖研究において世界的にも高い実績を誇る動物園です。

1994年に世界初の「ブリーディングローン制度」(繁殖研究を目的とした動物の貸与制度)で、日中共同繁殖研究がスタートし、約20年で17頭の赤ちゃんが生まれ育ちました。

これは、中国国内の研究施設を除くと、世界一の繁殖実績です。そのため、アドベンチャーワールドのパンダファミリー「浜家(はまけ)」は、「世界一のパンダファミリー」とたたえられています。

また、父親の永明(えいめい)は、アドベンチャーワールドでの暮らしの中で「飼育下で自然交配で繁殖した世界最高齢のパンダ」の世界記録も樹立しました。

アドベンチャーワールド生まれのパンダたちは、中国返還後にも子孫をたくさん残していて、世界中に浜家の環が広がっています。

「アドベンチャーワールド歴代パンダ一覧」詳細はこちら!

*参考:パンダの繁殖実績概要|ジャイアントパンダ日中共同繁殖研究サイト – アドベンチャーワールド

【神戸市立王子動物園】震災復興の希望の光になった動物園

王子動物園にパンダがやってきたのは2000年。その背景には、1995年の阪神・淡路大震災がありました。震災で深く傷ついた神戸の街と人々にとって、コウコウタンタンの存在は復興への道を照らす希望の光そのものでした。

王子動物園での繁殖は叶いませんでしたが、タンタンは「神戸のお嬢様」として24年もの長きにわたって愛され続けました。

晩年の心臓の病気と闘いながら懸命に生きる姿も、多くの人が応援して見守っていました。私自身もその一人です。

タンタンは2024年3月に永眠しましたが、私たちの癒しであり続けてくれたことに、心からの感謝を伝えたいです。

「パンダの寿命」詳細はこちら
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日本のパンダの歴史は新たな局面へ

半世紀以上にわたって大切に紡がれてきた日本のパンダの歴史は、実は今、大きな転換点を迎えています。

パンダたちの中国への帰国が続き、「いつでもパンダに会える」状況が当たり前ではなくなりつつあり、さらには日本からパンダがいなくなる可能性も現実味を帯びてきています。

ここからは、現在日本にいるパンダのプロフィールや、中国返還に関する情報、今後のパンダ来日の可能性など、日本のパンダ史の「今」と「これから」のお話をしたいと思います。

現在日本のパンダは上野動物園とアドベンチャーワールドの6頭

2026年6月13日現在、日本国内では上野動物園に2頭(シャオシャオレイレイ)とアドベンチャーワールドに4頭(良浜結浜彩浜楓浜)の4頭のジャイアントパンダが暮らしています。

▼上野動物園のパンダのプロフィール

名前誕生日年齢ひとことメモ
シャオシャオ(暁暁)2021年6月23日3歳双子の男の子、やんちゃな性格、現在の契約では2026年2月に返還予定
レイレイ(蕾蕾)2021年6月23日3歳双子の女の子、マイペースな性格、現在の契約では2026年2月に返還予定

▼アドベンチャーワールドのパンダのプロフィール

名前誕生日年齢ひとことメモ
良浜(らうひん)2000年9月6日24歳日本で生まれて日本で子どもを生んだ唯一のパンダ、2025年6月28日の返還が決定
結浜(ゆいひん)2016年9月18日8歳頭のてっぺんにある「とんがり」がチャームポイント、2025年6月28日の返還が決定
彩浜(さいひん)2018年8月14日6歳パーク最小の75gで生まれ元気に成長、あだ名は「社長」、2025年6月28日の返還が決定
楓浜(ふうひん)2020年11月22日4歳「いい夫婦の日」に生まれ元気に成長、アイパッチの形が特徴的、2025年6月28日の返還が決定

2022年末ごろまで、日本国内で10頭前後のパンダが飼育されていましたが、2023年のシャンシャン永明桜浜桃浜の返還、2024年のタンタンの死亡とリーリー・シンシンの返還で、飼育数が減少しています。

さらに、アドベンチャーワールドで現在飼育中の4頭はすでに2025年6月28日の中国帰国が決定しており、上野動物園の2頭は2026年2月20日が返還期限となっています。

「パンダがいる日本国内の動物園」詳細はこちら!

*参考:ジャイアントパンダ「リーリー」と「シンシン」の返還について(※中国ジャイアントパンダ保護研究センター碧峰峡基地に到着) | 東京ズーネット
*参考:4頭のジャイアントパンダの帰国日が決定しました2025年6月28日(土)に中国・成都へ帰国、6月27日(金)に歓送セレモニーを開催|トピックス|アドベンチャーワールド

2026年2月、日本からパンダがいなくなる?

先ほど書いたように、アドベンチャーワールドの4頭は2025年6月末の中国返還が決定していて、上野動物園のシャオシャオとレイレイも2026年2月に返還期限を迎える予定です。

シャオシャオとレイレイが返還されたら、1972年のカンカン・ランラン来日以来、約50年間で初めて、日本の動物園からパンダの飼育数が「ゼロ」になる可能性が高まっています。

パンダが大好きで大好きでこのブログを始めた私にとっても、この事実は受け止めるのが難しいくらい衝撃的なものです。「日本からパンダがいなくなるなんて、これからどうなってしまうんだろう?」と同じように不安を抱えている方も多いのではないかと思います。

「パンダの所有権と返還」詳細はこちら

*参考:【分析】「日本からパンダいなくなる?」和歌山の全4頭6月中国に返還決定 上野動物園の双子「シャオシャオとレイレイ」来年2月返還期限も…専門家「ゼロは考えにくい」 – FNNプライムオンライン

新たなパンダ来日の可能性と今後の展望

日本からパンダがいなくなってしまうかもしれない。この問題を受け、日本国内では新たなパンダ来日を望む声が高まっていますが、現時点では具体的なパンダ来園のニュースは出てきていません。

一方で、茨城県が日立市かみね動物園への誘致を目指し、2025年4月に中国・陝西省とパンダ保護協力に関する覚書を締結するなど、期待が高まる報道が全くないわけではありません。

今後のパンダ関連ニュースにしっかりとアンテナを張っておくようにしたいですね。

*参考:茨城県 パンダ誘致目指し中国の陝西省と覚書締結|NHK 茨城県のニュース

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パンダが繋いだ50年以上の歴史と未来へのバトン

日中国交正常化を記念して来日したカンカンとランランから始まった日本のパンダ史は、友好の印としての「プレゼント」から、「共同研究」のパートナーシップへと移行し、各動物園で数多くの物語を紡いできました。

この50年以上にわたる歴史のバトンを、私たちは未来へと繋いでいけるのでしょうか。今後も日本でパンダが暮らし、日本のパンダ史に新しい歴史のページが加わっていくことを、一人のパンダファンとして心から願っています。

この記事のまとめ
  • 日本のパンダ史は1972年に友好の証として始まり、種の保存のための共同研究へと移り変わる過程で、数多くのパンダが来園・誕生した。
  • 上野動物園、アドベンチャーワールド、王子動物園の3施設が日本のパンダ史の中心的存在。
  • 現在はパンダがいなくなる危機に直面しているが、新たな来日への期待も高まっている。
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