神戸市立王子動物園で暮らしたジャイアントパンダのタンタン(旦旦)は、「神戸のお嬢様」の愛称で親しまれたメスのパンダです。
阪神・淡路大震災から5年後の2000年に神戸へやってきて、震災からの復興のシンボルとして、約24年間たくさんの人に笑顔と癒しを届けてくれました。
その一方で、2頭のパートナーとの別れや赤ちゃんの死、心臓の病気など、タンタンの生涯は決して平坦なものではありませんでした。
2024年3月31日、タンタンは当時国内最高齢の28歳で旅立ち、その後、剥製と骨格標本になって中国へ返還されました。
この記事では、タンタンのプロフィール、28年の生涯の中でのできごと、そして剥製となって中国へ帰った現在までをまとめて紹介します。
パンダ・タンタンのプロフィール
タンタンは、1995年9月16日に、中国・四川省の臥龍(がりゅう)にある中国ジャイアントパンダ保護研究センターで生まれたメスのパンダです。
2000年7月16日、日中共同の飼育繁殖研究のため、オスのコウコウとともに王子動物園へやってきました。
王子動物園は、上野動物園、アドベンチャーワールドに次いで、日本で3番目にパンダを迎えた動物園です。
タンタンは、多くのファンから「神戸のお嬢様」と呼ばれ、王子動物園のシンボルとして愛されました。
| 名前(漢字) | タンタン(旦旦) |
|---|---|
| 性別 | メス |
| 誕生日 | 1995年9月16日 |
| 生まれた場所 | 中国ジャイアントパンダ保護研究センター 臥龍(中国・四川省) |
| 来園 | 2000年7月16日 |
| 飼育動物園 | 神戸市立王子動物園(兵庫県神戸市) |
| パートナー | コウコウ(興興) 初代:2000〜2002年 2代目:2002〜2010年 |
| 子ども | 1頭(2008年8月26日生まれ、生後4日で死亡) |
| 亡くなった日 | 2024年3月31日(28歳) |
| 愛称 | 神戸のお嬢様 |
タンタンの名前の由来
「旦旦(タンタン)」と「興興(コウコウ)」の名前は、一般からの公募で選ばれました。
「旦」は元旦の「旦」で、ものごとの始まりを表す字で、タンタンの名前には、「新しい世紀の幕開け」という意味が込められています。
一緒に来たオスのコウコウは、震災からの「復興」から「興」の字を取って名付けられました。
「旦旦」「興興」のように同じ字を2つ重ねるのは、中国のパンダの名前によく見られる付け方です。
2頭の名前には、震災から立ち上がろうとする神戸の街の願いが重ねられていたのかもしれません。
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タンタンの生涯
タンタンが神戸で過ごした約24年間には、うれしいできごとも、悲しいできごともたくさんありました。
タンタンの28年間の生涯を年表形式でまとめました。
| 1995年9月 | 中国で誕生 |
|---|---|
| 2000年7月 | 初代コウコウとともに王子動物園へ来園 |
| 2002年12月 | 初代コウコウが中国へ帰り、2代目コウコウが来園 |
| 2008年8月 | 人工授精で赤ちゃんを出産(生後4日で死亡) |
| 2010年9月 | 2代目コウコウが死亡 |
| 2020年7月 | 中国へ帰る予定だったが、新型コロナで延期に |
| 2021年春 | 心臓の病気が見つかる |
| 2022年3月 | 治療のため、一般の観覧を中止 |
| 2024年3月 | 28歳で死亡 |
| 2024年5月 | 王子動物園で追悼式 |
| 2025年6月 | 剥製・骨格標本が中国へ |
| 2026年3月 | 歴代パンダ3頭の石碑が設置される |
読売テレビの特集では、タンタンの24年間を当時の映像とともに振り返っています。
震災復興のシンボルとして神戸へ
タンタンとコウコウが来園したのは、1995年1月17日の阪神・淡路大震災から、5年あまりたった夏のことです。
2頭は、日本と中国が共同で行う「日中共同飼育繁殖研究」のために、中国から神戸へ貸し出されました。
震災で傷ついた神戸の人たちにとって、2頭のパンダは復興に向かう街の希望のような存在でした。
神戸市は2026年の発表でも、パンダたちが震災からの復興の象徴として、市民に勇気と希望を与えてきたと感謝を伝えています。
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2頭のコウコウと、赤ちゃんの死
一緒に来園した初代のコウコウは、体が十分に成熟せず、繁殖に適さないと判断されました。
初代のコウコウは2002年12月5日に中国へ帰り、4日後の12月9日に2代目のコウコウがやってきました。
タンタンは2003年から人工授精に挑戦し、2008年8月26日に、ついに赤ちゃんを出産しました。
日本で人工授精によってパンダの赤ちゃんが生まれたのは、20年ぶりのことでした。
しかし赤ちゃんは衰弱し、生後4日で亡くなってしまいました。
神戸新聞の記事によると、タンタンは赤ちゃんが亡くなった後もそばを離れようとしなかったそうです。
さらに2010年9月9日、2代目のコウコウが、人工授精のための精子の採取で麻酔をかけられたあとに急死しました。
麻酔から目が覚める途中で吐いたものが肺に入り、窒息したことが原因とされています。
それからというもの、タンタンは王子動物園でただ1頭のパンダとして暮らすことになりました。
返還の延期と心臓病
タンタンとコウコウは、日本と中国が結んだ協定にもとづいて貸し出されていて、タンタンはその期限を迎える2020年7月に、中国へ帰ることが決まっていました。
ところが、新型コロナウイルスの流行で航空便の見通しが立たず、返還は延期されました。
2020年9月16日の25歳の誕生日には、「日本での最後のお祝い」として、職員から、氷の土台に野菜や果物をのせて竹で飾り付けた特製のケーキが贈られました。
その後、2021年春に心臓の病気が見つかり、強心薬などを使った治療が始まりました。
2022年3月中旬からは治療に専念するため、一般の観覧が中止されました。
私もいつかタンタンに会いに行きたいと思っていましたが、行こうと思ったときには、すでに観覧が中止になってしまっていました。
中国への返還は1年ずつ延長され、タンタンは日中の専門家の治療を受けながら、神戸で過ごし続けました。
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タンタンの最期
2024年3月31日の夜、タンタンは28歳で息を引き取りました。死因は、心臓の病気による衰弱とみられています。
28歳は、亡くなった当時、国内で暮らすパンダの中で最高齢でした。
パンダの1歳を人間の約3歳とすると、人間でいえば80歳を超える年齢です。
2024年5月には王子動物園で追悼式が開かれ、飼育員や関係者など約140人が、タンタンに最後の別れを告げました。
王子動物園は、タンタンの24年間をまとめたメモリアルムービーを公式チャンネルで公開しています。
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タンタンの現在~剥製・骨格標本となって中国へ~
タンタンの体は、亡くなったあと剥製と骨格標本になりました。
剥製と骨格標本は、日中の協定にもとづいて、2025年6月に中国へ返還されています。
タンタンが亡くなったことで、約24年続いた王子動物園のパンダの飼育は幕を下ろしました。
2026年3月には、神戸市が、初代・2代目のコウコウとタンタンの3頭に感謝をこめて、王子動物園に記念の石碑を設置すると発表しました。
タンタンの命日にあたる2026年3月31日には除幕式が開かれ、白と黒の石で作られたパンダカラーの石碑がお披露目されました。
王子動物園に石碑が設置されるのは、2009年の「ゾウの諏訪子」以来のことです。
タンタンが神戸で過ごした日々は、震災から立ち上がった街の記憶とともに、これからも語り継がれていくでしょう。
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まとめ
神戸市立王子動物園のパンダ、タンタンの生涯を紹介しました。
タンタンは、阪神・淡路大震災から5年後の2000年に来園し、復興のシンボルとして約24年間、神戸の人たちに愛されました。
2頭のコウコウとの別れや赤ちゃんの死、心臓の病気など、つらいできごとを乗り越えながら、タンタンは日中の専門家に支えられ、当時国内最高齢の28歳まで神戸で暮らしました。
その姿は、震災から立ち上がった神戸の人たちに、最後まで笑顔と癒しを届け続けました。
中国へ帰ったあとも、タンタンの記憶は、王子動物園の石碑とともに神戸に残り続けるでしょう。

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